2025/04/23
エンジニアの就活はスタートが早く、大学院進学を決めて27卒になった私もそろそろ就活について考えたほうが良い時期になってきました。ということで、私が今までしてきたことなどについて振り返りながら言語化することで、自己分析兼就活のネタにしようと思います。制作物についてもここに乗せようと思っていたのですが、意外に長くなってしまったので別のエントリに分けようと思います。
大学入学
補欠合格で大学にギリギリ滑り込んだ私は、特に誇ることがない人間でした。高校では落ちこぼれ側で、理系コースだったのに数IIIも物理も化学も全く理解せず赤点を取り続けていました。何者かになりたかった私は、得意だったゲームの配信や動画投稿を帰宅後にしていました。ただ、鳴かず飛ばずで結局途中でやめてしまいました。
このころ、大学入学直後に受けさせられたTOEICの点が700点台で回りと比べて高めだったことから、なんとなく英語がアイデンティティとなり、年末には英検準一級をほぼ満点で合格したりするなどしました。
VRChatとの出会い
アイデンティティだった英語ですが、いわゆる受験英語ばかり得意になり、リスニングやスピーキングができなかったことがコンプレックスでした。英語を本当の意味で「喋れる」ようになるためには英語で話す練習が必要ということで、私が目を付けたのがVRChatでした。VRChatは仮想空間上に世界中からプレイヤーが参加し、ボイスチャットやテキストチャットができるプラットフォームです。映画「サマーウォーズ」のOZのようなイメージです。
私の狙いはこのゲームを通じて海外の友達をたくさん作り、英語力を楽しく上げることでした。
EN-JP Exchange
VRChatは基本肉声でコミュニケーションをとる場所なのですが、なかなか最初は抵抗がありました。いろんなワールドをめぐる中で最初に行きついたのは中国人コミュニティ。中国の大学で日本語を専攻しているという同世代くらいの人に出会い、その人のフレンドである中国人たちと知り合ってお互いつたない日本語と英語でやり取りするようになりました。後から知ったのですが、VRChatでは日本人が人気で(=アニメやゲームが人気なのと、日本人は日本人同士でつるむことが多く、そもそも遭遇するのが難しいため)なんとなくチヤホヤされていたことや国際交流をしている非日常感が楽しく、すっかりハマってしまいました。
そんな中で出会った7か国語くらい喋れる(⁉)マレーシア人の方にEN-JP Exchangeという英語練習にうってつけの場所があると聞き、通うようになりました。EN-JP Exchangeというワールドの特性上、日本や日本語に興味のある人が多く、ブラジルやフィリピン、カナダやアメリカなど様々な国のフレンドができました。
衝撃だったのは同い年で日本語がとても流暢な人に会ったことでした。しかも大学ではComputer Science専攻で日本語はアニメやドラマを見て覚えたそうで、今まで何年間も学校教育含めて英語を勉強してきたのにまともにしゃべれない自分にとっては信じられない存在でした。この人以外にも日本語が流暢な海外の人にたくさん出会いました。そして、彼らが英語を話しだすとついていけなくなってしまうのがとても悔しかったのを覚えています。
この出会いが私に火をつけます。
英語ガチ期
私は2年次の空き時間をすべて英語学習に費やすようになります。学校まで往復3時間あるのですがその時間はNetflixやDisney+・英語圏VTuberの配信の視聴、Podcastを聴くようにしました。さらにカナダのフレンドの大学が自分の大学の協定校だと判明してからは、学内選考を突破して交換留学生としてその人の大学に留学に行ってやろうと、学校図書室の閉室時間まで、英語資格試験IELTSの勉強をするようにしました。枠は2つしかなかったので必死でした。
結果的になんとかIELTSで必要なスコアを獲得し、面接も合格してカナダ・トロントへの1学年分の留学が決定しました。ついでにこの年のGPAは学部首席でした。このころにはリスニング・スピーキング力どちらもVRChatを始めたころに比べて大きく成長していました。
ゼミ配属・インターン
3年次に上がるとゼミに配属されました。第一志望だった情報系のゼミに配属されると、担当教員がインターンに行くと技術的に成長できる、という話をしていました。情報系にはかねてより興味がありましたが、学校のプログラミングの授業程度のレベルだった私はインターンに行ってみることにしました。YouTubeチュートリアルをまねして簡単なWebアプリを作ってインターンの面接を受け、ベンチャー中のベンチャーのような企業でインターンをすることになりました。JavaとJavaScriptの違いすらよくわかっていないレベルでしたが、毎日GitHubで草をはやすことを目標に手を動かすようにしていました。今振り返ってみれば、私は何かをコツコツ積み上げて自分の力をあげていくのが好きなんだと思います。
インターン先ではVue.js + laravelで作られたWebアプリのフロントエンド開発を主に行いました。フロントエンド開発なのは特に自分の意思は関係なく、ただ任されたからやっていただけでした(というかそのころはフロントとバックエンドの違いすら知らなかった)。個人的にはやったことがビジュアル的にすぐ反映されてわかりやすいフロントエンドは、自分の性分にあっていてラッキーだったなと感じます。
最初に任されたのは「ページ上部に戻る」ボタンの実装です。Webページがどのように機能しているか今よりも理解していなかったため、どうやるのか検討すらつかず苦戦しました。給料はほぼ最低賃金で、近くの吉野家の時給のほうが高いくらいでしたが、自分の好きな時間に好きなだけ働いて、かつ空調の効いた部屋でPCをいじるだけで稼げる仕事はそれが初めてでとてもうれしかったのを覚えています(それまでは好きな時間に入れない塾講だったり、空調のないケーキ小売店、体育会系で肉体的にきつい宴会場のバイトなどをやっていました)。
当時登場したてだったLLMの助けもあり、なんやかんやでJavaScriptやGit/GitHubがだんだんと使えるようになり、成長を感じました。
この経験があってかなんとか夏休みにDMMの1週間インターン、Sansanの1Dayインターンに参加することができました。が、同世代の優秀な層と比べると自分はまだまだだなと実感しました。(DMMのインターンは初日からコロナになってしまい、まともに参加できませんでしたが、、泣)
留学
3年次8月からはついにトロントでの留学が始まりました。21年間実家暮らしの自分にとって、海外でルームメイトとの寮暮らしはなかなか刺激的でした。当時のルームメイトのパトリックは映像制作専攻の大学1年生でしたが、自主制作もスケジュールを自分で建てて行っていて、自分が1年生の時よりずっと大人びていました。
当然すべての授業が英語で行われるため、苦労しました。いくら英語を勉強したといっても、周りは英語が母国語の人も多いため、英語力には大きな差がありました。課題の量も多く、どの授業も毎週2つほど英語論文を読んでこなければいけなかったため大変でした。さぼり方もわからなかったので、馬鹿真面目に丁寧に論文を読んで週末を溶かしていました。
いろいろ事件もありましたが、なんとか友達もできました。寮が閉まる年末年始にアメリカに連れて行ってもらったり、NYを観光したり、モントリオールへ1人旅に行ったりしました。トロントでの毎日は刺激的で、はじめはStreetcar(=路面電車)が来るたびに動画を撮ったりしていました。
英語力に関しては正直留学前にガチっていた時期のほうが大きく向上していたような気がしますが、地球の反対側で長期間暮らす経験は糧になりました。単位も1つも落とさず、海外大での1年間を乗り切りました。
帰国・2社目のインターン
4年次の4月に帰国しました。久しぶりの日本はすべてが新鮮に感じました。帰ってすぐカメラを持って地元を観光したのは今でも覚えています笑
留学前に働いていたインターン先に復帰したのですが、いかんせん小さな企業だったのでフィードバックをくれるベテランエンジニアが会社にいないことに不満を感じていました。技術的な成長が頭打ちになっている感じが否めず、転職を決めました。まだまだWebの理解が甘く、次のインターン先探しには苦労しました。10社ちょっとESを提出し、面接を色々と受けた結果、エンタメ系の制作に強い会社でフロントエンドエンジニアとしてインターンができることが決まりました。(ほんとはバックエンドがやりたかったのですが、経歴的にどう見てもフロントだろ!となりフロントエンドを任されることになりました笑)
海外で暮らして改めて思ったのですが、日本のエンタメは強いと思います。1つ1つの工程にこだわりがあり、雰囲気や世界観は唯一無二で日本にしか出せないものがあります。留学中もよく日本人だというとアニメやゲームの話になることが多かったので、エンタメ系に携わりたいと思っていた自分にとっては渡りに船でした。
CGとの出会い
インターンが始まってしばらくしたころ、Webゲームの制作案件に携わることになりました。入社前は全く知らなかったのですが、インターン先にはCGに強い社員さんが複数人いました。制作することになったゲームもWebGLを活用することになり、そこで初めてThree.jsというWebGLを扱いやすくするライブラリを使うことになりました(正確には社員さんがオリジナルで作ったThree.jsのラッパーライブラリを使いました)。
「ワールド座標・ローカル座標」「ジオメトリ、マテリアル、メッシュ」「フラグメントシェーダー、バーテックスシェーダー」といったわけのわからない単語が押し寄せてきて最初は困惑しましたが、CGの表現力はすさまじく、「CGを使えばこんなことができるのか、、」と驚かされました。技術力さえあれば、派手なエフェクトも幾何学的な図形も落ち着いた世界観の空間もなんでも作れるCGの魅力をこのWebゲームの制作を通じて知り、個人でもBlenderをインストールしたり本を買ったりしてCGについて勉強するようになりました。
帰国後復帰したVRChatではクリエイターが多く集まるワールドに通うようになり、情報を仕入れてアバター用のギミックやワールドを制作・販売するようになりました。CGは本当に奥が深く、難しいですが、その表現力の高さによる可能性に魅せられて今でも熱が冷めません。なんとなく今までWebフロントエンド開発をしてきたのでWeb系に就職するのかなと思っていましたが、いつからかそんなCGと近い場所で働けるゲーム制作会社で働いて面白いものを作ってみたいと思うようになりました。
これから
大学入学からの自分の行動を改めて言語化して振り返ってみました。こうしてみると、自分は自分をレベルアップさせることが好きなのと、ビジュアル的におもしろいものを作るのが好きなように感じます。そして、今の興味とやりたいことが合致しているのが、ゲーム開発会社のエンジニアな気がします。ゲームは作品ごとにユニークな世界観があり、自分も昔から慣れ親しんできて大好きなエンタメの1つだからです。
ということで、今年はWeb系ももちろん視野に入れつつ、ゲーム開発会社のインターンや選考も受けてみようと考えています。まだしっかりゲーム開発会社のエンジニアがどのような仕事をするのか理解できていないため、説明会に参加したりして調べてみようと思います。自分が面白いと思えるものを形にできる仕事につけたらな、とふんわり思っています。